コラム

新しい絆が生まれる「運」に感謝
2011年 9月 10日 カテゴリー:雑感

「一度是非、あなたにお目にかかりたい」。唐突にこんな電話がかかってきたのは、昨年の秋だった。電話の主は、文芸出版の世界で名編集者として知られた背戸逸夫さんである。しばらくして、背戸さんは本当に私に会いに、わざわざ金沢までお越しになった。

初対面の夜、行きつけの料理屋の小部屋で、二人は問わず語りに人生の話をした。なぜ、私が新聞記者をやめて独立したのか、なぜ背戸さんが雑誌『理念と経営』の創刊にかかわりをもち、編集長をしているのか。尽きない話に耳を傾け合いながら、ゆったりと静かに居心地のよい時間が過ぎていく。
危うく忘れてしまいそうなことを思い出したのは、三時間近く過ぎたころだった。「ところで、背戸さんはどうして私に会いにはるばる来られたんです?」。居住まいを正した私に、背戸さんは「そうでした、そうでした」と笑いながら、ぽつりと言った。
「私の雑誌の取材にあなたの力をお借りしたい」。この一言がきっかけとなって、私の事務所は雑誌『理念と経営』と特約関係を結んだ。 おそらく、酒を酌み交わしながら人間観察をされ、「この男となら一緒に仕事できそうだ」と思えるまで、用件を切り出すつもりはなかったのに違いない。人生の大ベテランから、私は値踏みをされたのだろうが、愚直にフリーを続けて10年目に師と仰げそうな人物と巡りあった幸運が嬉しかった。

今年の4月初旬には、東日本大震災の被災地へ行き、一週間のルポ取材に奔走した。この秋もまた、2度にわたって被災地の取材に入る計画がある。金沢で仕事をしながら、常に本の出版が頭から離れない私に、一つの出会いが新しい取材のフィールドを与えてくれたのは間違いない。被災地にも知己が増えつつあり、私の仕事の世界は広がろうとしている。

還暦まであと3年余り。現役でいられる残り時間を気にしていないと言えば嘘になる。そんな焦りを心のどこかに感じているからこそ、新しい絆が生まれる「運」を持っていることを喜ばないではいられない。愚直に仕事をし、人とのご縁に感謝をしている限り、天は人を見放さないのかもしれない。

コラム一覧へ